これまでの調査結果

真田家臣に遠山姓の者はいたのか?

(1)真田家末裔の方に調査していただいたが、松代藩の分限帳(家臣録)、寛永10年(1633)、明暦3年(1657)、文政2年(1812)のものに遠山姓はみあたらない。但し、寛永10年(1633)のものは50石以下が省略されている。明暦3年(1657)及び寛永10年(1633)のものは雑人まで入っているが、与力又は陪臣(家来の家来)まではでは記録が残っていない。 真田の家臣は同地区の者でかためているので、よそ者を家臣にすることはよほどの事がないとしないが、そうだとしたら記録に残るはずとの事だった。

(2)遠山と真田氏の関係について調査した結果、次の事がわかった。

(a)真田昌幸の父(幸綱)の五女が甲州遠山左馬介の妻となっている。(信濃史料叢書第2巻、松代通記 P360)

(b)真田昌幸の弟(信夛)の娘が武田家臣足軽大将の遠山右馬介の妻となっている。(真田軍功家伝記)

(c)真田昌幸の妻(寒松院)は諸説あるが、武田家臣足軽大将の遠山右馬介の娘である。(甲陽軍艦等)

 真田と遠山は武田の家臣であり、縁づいたとしても不思議ではない。このあたりの情報をご存じの方がいましたら是非お教え願います。

       

南信濃の遠山一族から流れてきた説

南信濃の遠山一族

2008年に南信濃村(和田)に調査に行った時、南信濃の遠山氏に詳しい方に聞いた話によると、1585年の第一次上田合戦で、徳川軍として伊那の諸将とともに南信濃の遠山氏(城主:遠山景直)は約120名を連れて上田に遠征し真田昌幸と戦ったが、約20名が南信濃村に戻らず、上田に住み着いたとの事。この中には、真田氏についた者もいるとのことだった。私の先祖がこの中にいて、何らかの事情で上田から新潟に渡ったのではないかとの事だった。
第一次上田合戦で美濃の遠山一族はこの戦いに参戦していないため、私の先祖が本当に上田から来たならば、我々のルーツは南信濃の遠山一族である可能性が高い。
その後、1600年(推定)に私の始祖の遠山信貞が上田で生まれ、

    (1)1631年に上田から新潟に来住した。
    (2)堀直寄の開墾優遇策(戦国浪人の帰農化)により、上田から一旦、北信濃の中野市平野村(1610~16年)に渡り、その後、堀直寄の村上移封(1618年)にともない、1631年に堀直寄が村上地区を開墾するため平野村から開墾者を呼び寄せ、この中に私の始祖がいた。

    このいずれかではないかと思っています。

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